私はあれから葵の所で考えられないほど平和に暮らしていた。
それと同時に様々なことを教わった。
炊事洗濯掃除やら、お金の使い方、文字の書き方と読み方、この世界における基礎や常識なんかを葵から丁寧に施してもらった。
葵の仕事は医者なのでそれに関することも少し習った。
薬草の事とか、応急処置の仕方とか。専門的な難しいものは無理だったけれど。
医者としての仕事もできる範囲で手伝った。
新しい事を学ぶのはとても楽しくて、今まで殺伐とした生活を送っていた私にとってはどれも新鮮で輝いて見えた。
ここしばらく感じとることが出来なかった「生きている」という感覚がじんわりと染み入るようだ。
そうして春夏秋冬を順調に過ごし、気づけばここに来て一年が経とうとしていた。
私はその年で10歳になる。
春がもう少しでやってくる。そんな頃のことだ。
夕飯の片付けを終えた私を葵がこいこいと手招きをした。
大人しく従って葵の前に座る。正座も板についたもんだ。
「、忍術学園に入ってみないかい?」
いつものにこにこ笑顔で告げられたことに「はい?」と疑問符をふんだんに散らして答える。
そんなまぬけな私の様子を笑って、つらつらと説明し始めた。
そこは忍者やくのいちを目指す子どもたちが学ぶ所で、衣食住共にして6年間勉強するらしい。
私と同じくらいの子どもたちがたくさんいるし
いろいろと刺激がもらえるてだろうと話す葵に私は次第にしょんぼりとした気持ちになってきた。
肩を落とす私に気づいて葵はどうしたのかと問いかけた。
「葵は私といっしょに暮らすのが嫌になったん…?」
自分で言っておいて更に悲しくなってきた。
今まであの子といた時以外は一人ぼっちだった。
けど誰かのぬくもりをあたたかさをまた思い出したから、あの頃のように一人で生きるのはとても嫌だ。
当の本人はきょとりと不思議そうな顔をしていたが、唐突にぷっと吹き出した。
「ちょっと!なんで笑うん!」
「ごめんごめん、ついね。全然違うよ。
と住むのが嫌になったからとかそんなんじゃないから」
むすっと拗ねる私の頭をかわいいかわいいと撫でまわした。
なんだか照れ臭くなって、話の続きは!と促せばそうだったと口を開いた。
「は強くなりたいと言っていただろう」
「うん。まあ…」
「あそこはね、知識や心や体も強くしてくれる良い学園だからにどうかと思ったんだよ。
別にくのいちや忍者にならなくたっていいんだ。
ただそこで身につけたことはの将来にきっと役に立つし、宝物になると思うんだよ」
「……ほんまに?」
「うん。私も実を言うとそこの卒業生なんだ。
もう随分と前のことだけれど。結局私は忍にはならなかったしね」
そう笑う葵を見て、考える。
常日頃から強くありたいと願っていた。
強ければ死ぬこともないだろうし、降りかかる障害をふりはらうことができる。
私にはまだまだ足りないものが多いから、そこで生活し勉強することは魅力的に思えた。
それに葵も通っていたという所だというのも気になる。
「…行ってみたい」
「そう。わかった」
ぽつりと短かったけど意思を込めて言えば葵はまた嬉しそうに笑った。
でもがいなくなるとこの家も静かになるなあ
なんてさっきとはうって変わってちょっと寂しそうに言うものだからお互い様だと苦笑したのであった。
*****
寒かった季節はしばらくお別れし、うららかな春がやってきた。
家の前で荷物を背負って立つ私とそれを静かに見送る葵。
いよいよ忍術学園に入学する時がやってきたのだ。
「忘れ物してないね」
「大丈夫!」
「道はちゃんと覚えてる?」
「ばっちりやで!」
「同室になる子ともきちんと仲良くするんだよ。
ああ、あと暑くなったからって上掛けをきちんとかけなさい。はすぐお腹を冷すんだから」
「もー!大丈夫やって!」
あれやこれやと出かける間際になってから注意をされて、案外葵も心配性だと内心でため息をついた。
…それがちょっとこそばゆい気持ちになるというのは内緒だ。
「いってらっしゃい」
「いってきます!」
笑顔で手を降れば振り返してくれた。
新しい生活への期待や楽しみ、少しばかりの不安を抱えて私は歩き出した。
*****
よく知った道を歩き出してから、たくさんの桜の木がある場所へと差し掛かった。
今年も見事に咲き誇っていて、風が吹くたびにひらひらと薄いピンク色の花びらが降り注ぐ。
思わず見とれて感嘆の声をもらす。去年は葵とここでお花見したっけなあ。
しみじみと楽しかった思い出を振り返っていたら、さっそく胸の内に寂しさが滲んできたので慌ててそれを打ち消した。
いけないいけない。いきなり感傷的になってどうするんだ。
気合いを入れるように両手をぱしりと叩いて足を進めようとしたら、突然横の茂みから何かが飛び出してきた。
ぼんやりしてて全然気配に気づかなかった。
平和ボケしてきたのかしらと思いつつ、さっと身構えた。
獣か何かと思ったがそれはなんと人だった。
「忍術学園はどこだー!」
叫びながら勢いよく現れたのは私と変わらない年の男の子だ。
同じように荷物を背負って「忍術学園」との発言からもしかしてこの子も入学するのだろうか。
こっちか!と叫びつつ猛然と走っていこうとしているが、残念ながらそちらは全く別の方角である。
「ちょっと待って!」
急いで彼の腕を掴んで引き留める。
危ない危ない。なんて猪突猛進なんだ。
「ん?お前誰だ?」
「私は山川。きみも忍術学園に入学するん?」
ちなみに山川というのはもちろん葵の苗字であるが
名乗る時にあったらいいだろうと葵が私にも苗字をくれたのだ。
「そうだ!ええと、も忍術学園へ?」
「うん。そうなんやけどきみが行こうとしてたの全く違う道やで」
「なに!それは本当か!」
また間違えた!とからから笑うので思わずずっこけそうになる。
元気なのは良いことだけどね。
「よかったらいっしょに行こう。なんかまた迷子になる気するし」
「ああ、そうだな。そうしよう」
「で、きみの名前は?」
「神崎左門だ!よろしくな!」
「よろしく左門」
思いがけず仲間ができて、これは幸先良いのかもと桜の道を左門と並んで歩き始めた。
*****
幸先が良い、と思ってはいた。
確かに左門は明るく話していておもしろいやつなのだが困った癖があった。
それはものすごい方向音痴だというところだ。
会ったときにたまたま道を間違えたのかと思いきや、私の行こうとする道の真逆を必ず選択し突っ走って行こうとする。
しかも無駄に決断力がある。早いし。
勝手にどこかへ行ってしまわないように手を繋いで歩くことにしている。
そうして左門と歩いていたらまたもや別の茂みから誰かやってきた。
これまた同い年くらいの男の子である。
…なんかもうパターンが読めてきたぞ。
「きみもまさか忍術学園へ行く子?そして迷子なんか」
「よく分かったな。でも俺は迷子じゃないぞ。忍術学園はこっちだろ」
「違うわ!そしてやっぱりか!しかも無自覚くさい!」
「違うぞお前、忍術学園はこっちだ!」
「左門も間違ってるで」
今度は自分が迷子だと認識してないという新たなタイプの迷子が現れた。
名前は次屋三之助といい、やはり三之助も忍術学園へ入学する子だった。
とりあえずお互いに名乗り、挨拶と経緯を話し、三之助もいっしょに行くことになった。
だって絶対また迷うもんよ。
この二人全然辿り着ける気がしないもの。
案の定三之助も有らぬ方向へふらふらと行ってしまいそうになるので手をしっかりと繋いでやる。
右手に左門、左手に三之助を手を握り、両手に花ならぬ両手に迷子である。嬉しくない。
「さ、早く行かんと遅れるから、ちゃきちゃき行くで!」
「おー!」
「俺迷子じゃないのになぁ」
「お黙り三之助」
*****
「つ、着いたー!」
忍術学園と書かれた看板と立派な門が見えて、思わず繋いだ手をそのままにバンザイをした。
長かった!本当に大変だった。
ちょっと気を抜いたらあっちへこっちへ行こうとするので
その度に軌道修正をしなければいけず、普通に行けばそんなにかからない道のりを倍はかけて歩く羽目になった。
「ここが忍術学園か!」
「思ったより遠かったなー」
「お二人がまっすぐ歩いてくれたらもっと近かったんやけどな!」
そうか?なんてきょとりとしている三之助を軽く叩いて、さっそくどこかへ走り出そうとしている左門の首根っこを掴む。
門を潜れば先生と思わしき黒の装束を来た人が数人いて、新入生の受付をしている。
その中に若いきれいな女の人(この人も先生だろう)がいて、くのたまはこっちよと呼び掛けていた。
さて、そこで軽く問題が発生した。
はあっちかー、ここで一旦お別れだな、とのほほんと会話している二人のことである。
私は彼らと離れなければならないのだが、この道中で見事な迷子スキルを見せつけられた。
つまりこの学園内でもきっといや必ず迷子になるに違いない。
だから二人だけにするのはかなり不安がある。
どうしようと悩み出した私の横をすっと新入生の子が通り過ぎていく。ええいままよ!
「ちょっとそこの人!」
「え?俺?」
たまたま近くにいた子を掴まえる。
うん、なんとなくこの人ならまかせられる気がする。なんとなくだけど!
「名前は!」
「と、富松作兵衛だけど」
「そう!作兵衛!私は山川、そしてこっちが神崎左門で隣のが次屋三之助」
三人してよろしくと挨拶してきたのと勢いに作兵衛が気圧されている。
「この二人異常なくらいの方向音痴だから作兵衛にこいつらの面倒見てあげてほしいんやけど。
私はこれからくのたまの方へ行かなあかんし、いきなりで申し訳ないけど頼んだ!」
「え!はあ?ってちょっと待てよ!」
とうとうと並べ立ててしっかりと左門と三之助の手を握らせて
無事引き渡しが完了するとそれじゃあと片手を振ってくのたまの先生のところへと走った。
背後から作兵衛のどういうことだ!とか左門のまた後でな!という声を聞きながら。
15.9.19