以前の私はごくごく普通の家庭に生まれた子だった。
として生まれる前、つまり前の私の話である。


一般的なサラリーマン父親と専業主婦の母親と一人娘の私。
しかし普通であった家庭はあっという間に崩れ去ってしまった。両親が離婚してしまったのである。
原因は母が私を身籠っている最中にした父の浮気だ。
最初は母はそれに気づいていなかったが、私が5歳の時に浮気が露呈された。
しかも妊娠中から同じ相手とずっと付き合っていたことが分かり、当然揉めに揉めた末、浮気相手と一緒になることを選んだ父と別れることになった。
その時の荒れていた家の様子は未だに頭の隅に残っている。

私は母に着いて二人で暮らすことになった。
離婚という争いに精神的に酷く消耗してしまい、それは母の性格、人格にまで及ぶことになった。
昔の母はとても優しくよく笑い、褒めてくれる母親であったのだが
離婚してからは私の事をよく罵倒するようになってしまった。
暴力こそふるわれなかったが、ありとあらゆる言葉で口汚く罵られ、間接的に殴られたのと変わらない痛みがあった。

よく言われた言葉は「あんたさえ生まれてこなければ」だ。
父が妊娠中に浮気をしたからだろう。そんなことを言われても私にはどうしようもないのに。
しかし、私の事を罵倒した後は決まって泣きながら酷いことを言ってごめんと謝罪するのだ。
そして次の日には普通の母に戻っている。
そんなことが繰り返し繰り返し続いていったので、私自身も、どう母と接したらいいのか分からなくなっていた。

これはきっとお互いの為に良くないと、高校を卒業したら就職して家を出ることに決めた。
進路相談の時に母も賛成してくれ、就職先も無事見つけることができた。
順調に事が運んでいってると思ったのだが、当初賛成していた母が就職することをギリギリになって反対してきたのだ。
正確には就職がダメというよりも家を出るということに反対しているようだった。
私は母との付き合いに心身共に疲れ果てていたので、こればっかりは譲らなかった。
普段は刺激しないよう罵られても受け流す一方であったが、家を出ることに関しては止められても押し通した。

今さら変えられる訳もなく。
ついに家を出ていく日、靴を履いて玄関のドアを開けようと手をかけた。
何か言うべきだと振り返って見た母はいつもみたいに涙を流しながら



「あんたも私を置いていくのね」

「裏切り者」



怒り、哀しみ、憎しみ。
それらを滲ませて新たな門出を迎えようとしている娘に母は呪いのような言葉で送った。
私は結局何も言うことができずにただ逃げるようにその場を去った。
これ以上あの家に居てはいけない。その一心で。
それから慣れないながらも仕事を始めて、ようやく形になってきた頃突然の事故で私の人生は呆気なく終わってしまった。














ぷつりと落ちていた意識にスイッチが入る。
どうやらずいぶん深く寝入ってしまっていたらしい。
不浄王を討伐してから私達は虎屋に戻ってきていた。
奥村も倒れてしまったし、何より私達もフラフラだった。
私と坊と子猫さんは自分の部屋で、あとの皆は虎屋の一室で休みをとっている。
和尚も明陀の皆も無事だったし、ほっとしたら一気にどっと疲れが出てきた。
自室に戻ってから布団を敷くのもそこそこに倒れこんで、後は死んだように眠っていたらしい。
のっそりと体を起こして、戻る前に買ってきていた水を飲む。
そういえば部屋が薄暗い。もう夜なのか。
何時ごろなのだろうと確認しようとした所で襖の向こうから声がした。


、起きとるか」

「へ?あっ…坊ですか?」

「ああ。入ってもええか」

「はい。どうぞ」


返事をすれば、すっと音もなく襖が開けられる。
座布団を引っ張ってきて坊に勧め、その姿をまじまじと見た。
どうやらどこも悪くなさそうである。


「坊、調子はどないですか。かなり消耗しとったと思うんですけど」

「だいぶ休んだからな。問題あらへん。はどうなんや」

「私もあれからよう寝てましたんで。元気になりましたわ」

「そうか、それならよかったわ」


そこで一旦会話が途切れてしまい、そういえば坊と喧嘩してそのままだったということを今更ながら思い出す。
不浄王倒して再会した直後はもう感情がいろいろせりあがって爆発してしまったので、なんとなくうやむやにしたままであったけども。
おまけにその時めちゃくちゃ泣いてしまったしな。

しんとした部屋の中で時計の音がやけに響く。
どうしよう。き、気不味い。
今まで感じたことのない居心地の悪さにそわそわする。


「なあ」

「はいっ!?」

「なんやねんその反応は」

「す、すみません。ちょっとぼおっとしてました」

「そうか?まあええわ…。俺はお前に話があって来たんや」

「話?」


いつになく真剣な顔で坊が切り出した。
その雰囲気に居ずまいを正して、正座をする。
話とはなんだろうか。やはりこの前の喧嘩した件なのか。


「正直俺も色々ありすぎてまだ頭の中ごちゃごちゃしとるんやけど、
 一つ一つ決着できるもんからしていきたいと思う」


そこで一度押し黙ったが、意を決したのか顔を上げて真っ直ぐ私の事を見つめる。


「あの時の言葉の意味はなんや」

「あの時って?」

「…俺が不浄王の所へ結界張りに行く言うた時や」

「不浄王の…」


おうむ返しになりつつも記憶の引き出しをひっくり返す。
ついさっきの出来事だが、如何せん濃い内容であったので記憶もあふれているのだ。
坊が不浄王の元へ行こうとしてた時……。
しばらく考えてふと思い出した言葉にぼっと顔が熱くなるのが自分でも分かる。

そ、そうだ。そういえば私とんでもなく恥ずかしいこと言ってなかったか。
坊の方を見れば、なんとなく坊も顔が赤い。
その反応に間違いなくあの時の真意を問われているのだと確信する。


「坊が仰ってるのは……私が、その…す、好きな人を守れなかったら後悔するって言うたことですよね」

「…そうや」


恥を忍んでもしかしたら違うかもしれないしと確認すれば坊からは肯定のお言葉が返ってきた。
見事に合ってました。あ、やばい死ぬほど恥ずかしい。
確かにその気持ちに間違いはないし、私もあの場でふざけて言ったわけじゃないけど。
これは、この想いは墓まで持ってこうと思っていたのだ。


いつからかは分からない。私は坊のことが好きになってしまっていた。
最初は家族として幼馴染としての好きだった。
前の私から記憶を引き継いでいたし両親が亡くなったこともあって、荒んでいた私を明陀の皆が優しくしてくれた。
特に引き取って育ててくれた和尚や虎子さんには感謝してもしきれない。
そんなお世話になった家の人だし、明陀の座主の血筋である坊を好きになるということはひどくうしろめたくなる。
それでも気持ちの方は勝手にふくらむばかりでもうどうしようもなかった。
よく私の事を気にかけて、優しくて、時にぶっきらぼうで怒りっぽい所もあるけれど、全てが大切だと思った。
決して人付きあいの良くなかった私を救い上げてくれた。

前世に関しては母が全て悪かった訳ではない。
少しずつ黒い淀みが積み重なって、母を変えてしまったのだ。
父と浮気相手の女の人、それから向き合うことを拒んで逃げた私。
その後悔で暗くなってしまったのを変えてくれたのが今の家と坊の存在だ。
だから私は家族の気持ちを越えた好きという想いをひた隠し、できればずっと彼の傍で支えていきたいと願っていた。
それなのに、私はつい頭に血が上ってぽろりと口を滑らしてしまった。
あの時は別に何とも思わなかったが、現に今こうして坊が尋ねてきている。
意味は多分坊も分かっているのだろう。だから確認するために私の元へやって来たのだ。

もう一度坊の顔を見る。
頬の赤みは引いて、真剣な表情だ。
これはもう嘘をつけないし逃げられないな。
ここで下手にごまかしたりしたら、それこそ裏切ることになるし坊に失礼だ。
覚悟を決めて大きく深呼吸する。
しっかりと坊を見据えて口を開く。


「私の言ったことはそのままの意味です。…私は、坊のことが……」


好きだと続けようとしたが、腕を引っ張られてそのまま坊の所へとダイブする。
背中に腕がまわっていて、ようやくそこで抱き締められたのだと気がついた。
突然の事に驚きを通り越して固まってしまい、これは両手をどこへ置けばいいのかと的外れな事を考えてしまう。


「えっ、ぼ、坊?」

「すまん。俺から聞いといて遮ってしもうて。でもやっぱり俺からちゃんと言わせてくれ」


背中にまわっていた腕が解かれて代わりに肩に手を置かれた。
先程までは顔を上げることができなかったのでそこで坊のことを改めて見上げる。


のことが好きや」


聞き間違いではなかろうか。
続け様に衝撃を喰らったので一番に思ったことがそれである。
自分のことながら残念な思考回路だ。
いや、それにしてもついさっき私が言おうとしていた言葉が坊の口から出てきたではないか。
また脳内が混乱しようとしていたら坊が呼び掛けてきたのですぐに思考を取り戻した。


「そんな、まさか………あっ!もしかして家族として―っていうオチやないですよね!」

「ちゃうわ!アホ!ちゃんと女としてって…何言わすねん!!」

「あだっ」


仮にも好きな人の頭をはたくのは如何なものか。
でもちゃんとそれは照れ隠しだって分かっているけどね。現に坊の顔は真っ赤である。
それにしてもこれは自分の都合の良い夢なのではないかと錯覚する。
でも繋がれている手はあたたかいし、窓から入り込んだ風の生ぬるさも全部本物だ。
今頃じわじわと内側から嬉しさが熱に変わって体温を上昇させる。
そういえば私の気持ちは伝えていなかった。声が震えてしまいそうだ。


「私も坊のことが好きです。ずっと、ずっと前から好きでした」

「……そうか」


今度はしっかり最後まで言えた。
想いを告げると坊は今まで見たことない優しいような嬉しそうな表情をしていて、それを見てなんともいえない思いがこみ上げる。
繋がれていない手で思わず顔を覆ってしまう。


「なんやどないした」

「いえ、なんというかその……。嬉しいといいますか幸せだとかなんかもういっぱいいっぱいで」


今私はかなりやばい顔をしているのではないだろうか。
様々な感情に顔面が弄ばれて崩壊している自信がある。
隠したくて余計に手を当てていれば、またぐいと引き寄せられてさっきの体勢に逆戻りする。


「そんなん俺も同じやわ」

「坊―」

「まずその呼び方から変えてもらわなあかんな」

「…はい。善処します」


もう小さいときからずっと坊と呼んでいたので、今更変えるのは難しそうだが。
でもそうだなあ、恋人同士であるのだから名前で呼んでみたいという気はある。
私は昔から名前で呼ばれているけど。胸に預けていた顔を少し離す。


「りゅ、竜二…さん」

「おう」

「あーっ!やっぱなんか恥ずかしいです!違和感が!!」

「こら時間かかりそうやな」


ぼすりと坊に抱きついた。
当の本人はからからと笑いながら私の頭を撫でている。
暑い。とにかく暑くてきっと汗もかいてしまっているだろうが、そんなものは些末なことであって不思議と不快じゃなかった。
望んではいけないと思っていたことが現実になって、私は今間違いなく幸せのど真ん中にいる。
ついさっきまで不浄王と戦っていたばかりだというのに。この落差はなんだろうか。私死にはしないだろうな。


「そういえば私、坊と喧嘩してましたのにそれはもうええんですか」

「ええも何も、まああれは俺の思い違いっちゅうか……」

「そうなんですか?」

「でも俺のことを庇ってケガされるんは嫌や言うんはほんまやで。絶対もうあないなことすんなや」

「……はーい」

「その間はなんやねんコラ」


だってそんなのその時になってみないと分からないじゃないか。
それに多分目の前で坊が危なくなったら、勝手に体が動いてしまうと思うのだ。
でも、それで私に何かがあって坊を困らせたりしたくはないから、私も強くなろう。


「私、坊をちゃんと守れるくらい強くなります。もちろん自分もケガせんように」

「あのなあ。この前なんで喧嘩になったんか忘れたんか」

「待ってください。分かってます。
 だから坊も私の事、危なくなったら助けてください。そうやってお互い強なって助け合えたら最強やないですか」


それぞれの主張を補える名案だと息巻く。


「―せやな。それが一番互いを尊重できてええかもな」

「でしょう!」

「まあ俺がの守りに入ることが多なるやろうけどな」

「なっ!?そんなことないですって!私もがんばりますよ!!」

「おーおー。がんばれがんばれ」


ぐりぐりと髪をかき混ぜて坊は笑った。これは本心なのだ。
やはり私はどこか終わりを迎えるまで、この人の隣でずっと支えて生きていきたい。
不浄王の一件からも改めてそう思った。

強くなる為にがんばろう。自分の為に、彼の為に。
溶けるような熱と幸福に浸りながら、私は新たに決意を固めたのだった。













17.6.2