静寂が部屋を満たしていた。
カーテンをざっくり閉めた窓からは、太陽の光が隙間より鋭利に差し込んでその部分だけを照らしている。
それでも電気を消した室内は薄暗い。
窓際に置かれたベッドに女が一人。
すやすやととても気持ち良さそうに眠っている。
カーテンの隙間から顔に鋭く陽光が突き刺しているというのに、まるで意に介さず寝こけている。
部屋の中には女の寝息、硝子1枚隔てたところで車の走る音が微かに響く。
そんな静かな音の中にまたひとつ、かちゃりと扉の施錠が開く音が加わった。
かたんと玄関の扉が開かれ男が一人入ってきた。
なめらかな動作で物音を立てずに扉を閉め、靴を脱ぎ、ひたひたと短い廊下を歩く。
ワンルームを隔てる扉を僅かに開き、まだ室内が薄暗闇で満たされている事を確認するとふうとため息をこぼした。
そのままするすると部屋に入り女の眠るベッドへと近づく。
カーテンに手を伸ばすと勢いよく左右に開けた。
カーテンレールがじゃっと音を立て、途端に部屋中隅々まで明かりが満たされた。
物音に加え、こんなに明るくなったというのに部屋の主はまだ夢の中である。
なにがそんなに眠いのかと男は真剣に考えてしまいそうになるが
それよりも早く彼女を起こさねばという使命を思い出しベッドに肩膝をつく。
そのまま女の肩辺りを揺さぶる。
さん、さん起きてください。
女、の名前を呼び強く揺さぶってみたが軽く唸り声を上げただけで起きる気配がない。
男は本日二度目のため息を吐き出し、布団を引っ掴むとがばりと盛大にはがしてやった。
これにはたまらず女も目が覚めた。
「ひどいよー、いきなり何ー?」
「ひどいのはどっちですか?デートなのに遅れて寝ている
あなたの方が100人中100人悪いって言いますよ。なんならアンケート取ってきましょうか?」
寝ぼけながらの投げた言葉をぴしゃりと打ち返し
顔面に叩きつけられた所でようやくは意識がはっきりと覚醒した。
「おはようございますさん。ようやくお目覚めのようですね」
にこりと涼しい笑顔を浮かべる男を目に留めて
は引き攣ったひどい顔でなんとか「オハヨウゴザイマス立華鉄サン」と片言ながらも返した。
それに「なぜフルネームなんですか」と立華は冷静にツッコミを入れながら、布団をベッドの隅に畳んだ。
さて、と腕を組み仁王立ちする立華に自然とはベッドから降りて正座をした。
「鉄さん、弁明を。弁明をさせて頂けないでしょうか」
「一応聞いておきましょうか」
「今日は久しぶりのデートじゃないですか」
「そうですね。それなのにさんは気持ち良さそうに眠っていましたね」
「うぐっ………それに関しては申し訳なさしかないのですが。その―」
「なんですか」
「久しぶりで楽しみすぎてなんか寝つけなくなってしまいまして……気づいたら朝に」
「………もう昼前ですよ」
「あっ、昼前に…なってました」
最後の方は消え入りそうな声になり、もじもじと決まり悪く話すを見下ろした。
立華はその言葉と彼女の赤く染まった耳を見て、先程までの憤りは簡単に散って溶けてしまった。
こんなことを平気で言ってしまうのだから彼女はずるいと立華は複雑な思いになる。
内心を隠すように三度目となるため息をついた。
「遠足を楽しみにする小学生ですか」
「面目ないです」
「分かりました。もういいですからとりあえずそのひどい顔と寝癖をなんとかしてきなさい」
「寝起きの無防備な彼女の姿を見られるのは彼氏の特権ですよね」
「自分で言うことじゃないですよ。さ、早く行く」
「…はい」
恭しく頭を下げては立ち上がるとよたよたと洗面所に向かった。
やれやれと立華は苦笑し、先ほどカーテンを開けた窓に手をかけた。
からからと軽い音と共に涼やかな風が部屋の中に滑り込んだ。
「サンドイッチを作ろうと思います」
が洗面所に消えて、縦横無尽に跳ねまくっていた髪の毛と
このやろうだの言うことを聞けだのと言いながらばたばたと格闘している。
それを後ろに聞きながら立華はそこら辺に置いてあった雑誌を読んでいた。
はいつも寝癖が本当にひどいらしく、出かける準備はほぼ髪を整えるのに費やされるらしい。
そのせいでいつも早起きを強いられるから嫌だとぶつくさ言っていたのを立華は知っていたし
泊まっていった際にも洗面所に詰めて奮闘している様を見ていたので慣れたものであった。
しばらくしてようやく整ったのか洗面所から出てきた。
服を着替え、軽く化粧を施した彼女は立華の元へ寄るなり先の言葉を述べたのだった。
の突飛な発言はいつものことなので、静かに読んでいた雑誌を戻す。
「どこか出かけるのではなかったのですか?」
「そうだったけど変更します。今日は一日鉄さんと家で怠惰に時間を費やしたいです」
「もっと他の言い方なかったんですか。天気、とてもいいみたいですよ」
「晴天であるのに家でだらだら過ごすという背徳感がまた良いんじゃないですか」
ふんと何故か得意気に話すを見て、立華も思わず苦笑した。
彼女といるとどんなことでも良いと思えてくるので不思議である。
ちらりと窓の外に視線をやってから彼女を見やる。
「それも良いかもしれないですね」
「鉄さんエプロンすごく似合いますね。写真撮っていいですか?」
「それは誉めてるんですか?あと写真は絶対に止めてください。」
淡い緑のエプロンを着けた立華と小学生の時に家庭科で作ったという
ずいぶん古いくすんだ花柄のエプロンをつけたが狭い台所に並んでいた。
食パンと冷蔵庫からハムや適当な野菜を取り出して分担して調理にかかる。
「ポテトサラダ?サンドイッチに挟むんですか」
「もちろん」
「美味しいんですか」
「ええ、おいしいですよ」
がせっせとポテトサラダを作っているのを見て、立華は懐疑の目を向ける。
本当においしいですから!と強く推す彼女にそれならまあいいかと立華も食パンを切る作業に戻る。
「ある小説で読んだんですけどね
サンドイッチの食パンを切るのに適しているのは細くて器用な手がいいんですって」
「へえ、どうしてですか?」
「パンに指の跡がつきにくいからだそうですよ」
「なるほど」
立華は自分の手を見つめて、もつられて自分の手を見てみる。
彼ほどきれいな手ではないなぁと内心落ち込みながら作業に戻ろうとすると、その手は立華にすっと取られてしまう。
「私はさんの手が好きですけどね」
まるでの心の内などお見通しだというように言ってのける。
ゆるりと微笑まれ事も無げに告げられた言葉に
「それは、どうも」とわざとぶっきらぼうには返事をしたがその頬は淡く朱色に染まっていた。
かわいらしいと思わずくすくすと笑えば、もういいだろうと手を引っ込められてしまった。
その様子もまたと思ったがこれ以上はへそを曲げられてしまうと立華も作業を再開させた。
出来上がったのはもうお昼を過ぎていた頃合いだったが
二人は小さなローテーブルに並べられているサンドイッチを食べていた。
ハムときゅうりとトマト、タマゴサンドにポテトサラダ。
ところ狭しと並んだそれは色とりどりにテーブルを賑わせている。
「これ、おいしいですね」
「でしょう。ポテトサラダばかにできないんですって」
にこにこと嬉しそうには笑う。
次のサンドイッチに手を伸ばして倒れそうになったグラスを立華はさりけなく退けておいた。
「さんには教わる事が多いです」
「私も鉄さんに教えてもらうこと多いですよ」
「へえ、例えば?」
「どうやったらより効果的に相手を心身共に追い詰められるとか」
「そんなこと覚えなくていいです」
大真面目に答えるにもっと他に、できれば平和な事を学んでほしいと思うが
如何せん自分のやってきている事を思えば彼女の手本になることなどないのではないかと考えた。
「ウソですよ鉄さん本気にしないで」
「…わかってますよ」
「私は鉄さんから貰うこんな穏やかな気持ちこそが一番の教わったことだと思います」
思いもよらぬ所から投げ掛けられた素直な言葉に今度は立華が詰まってしまう番だった。
嘘偽りのない飾り気のない言葉だからこそ真っ直ぐに、体の奥深い場所に暖かく届いた気がしていた。
しまりのないへらへらとした表情では笑っていた。
彼女にはあまり勝てる気がしないなと立華は思う。
「それはこちらも同じことですよさん」
「そうですか」
緩やかな風に吹かれてカーテンが踊っている。
壁に掛けられた時計がカチコチと正確に時を刻んでいた。
「あなたといると時間がおそろしくゆっくりに感じられますよ」
「それはとても良いことですね。きっと他の人よりたくさん時間使えますよ」
お得ですね、とずれた事を言うにそれはどうでしょうかと静かに立華は突っ込んだ。
窓から暖かくまろやかな日の光が二人を照らしていた。
ぼくら日々を喜びと名付けた
15.7.20
title by alkalism