重い瞼をそっと開けたら知らない場所にいた。
辺り一面青々とした葉をたっぷり繁らせた木々が立ち並んでいる。
やわらかな草の上に横たえていた体を起こすときしきしと節々が痛んだ。

俺はどうしてこんな所にいるんだろう。

考えてもその前後のことが全く思い出せない。
仕方なく立ち上がり、周りを見渡してみる。
眼前に広がる森の向こうにきらきらと何かが光っているのが見えた。
そこへ歩みを進めてみると大きな湖があった。
傍へ近寄り中を覗き込めば、水面は薄い淡い水色をしており底になるにつれ濃い青色へ染まっていた。
その鮮やかなグラデーションに暫し見惚れていると突然猛烈な喉の渇きに襲われた。今まで感じたことのない程。
たまらず目の前の湖に両手を沈め、その水を掬いとった。
口元まで水を持っていった所で「ダメだよ」と自分以外の声にその動きを止められる。


「それ、飲んじゃダメ。」


ゆっくりと怠慢な動作で振り向けばそこには女の子が立っていた。
真っ白なワンピースは裾が長いのか端を縛っている。
手にはバスケットを持っていて感情の読み取りにくい瞳で俺をじっと見ていた。


「ここにいるからいけないんだ。こっち、ついてきて。」


くるりと踵を返して彼女はさっさと歩きだす。
少し遅れて俺も彼女の後ろをついていくことにした。
ずっとあそこにいるわけにもいかないし。
森の中をさくさく慣れたように彼女は歩いていく。


「ねえ、君は誰?此処はどこなんだ?」

「私は門番。で、ここは入口。」


彼女は簡潔にそう答えたがまるで意味がわからない。
聞きたかった答えとだいぶ違うけど、それ以上何か答えてくれそうな感じがしないので黙ってついていくことに専念する。

暫くして森が開けた所に出てきた。
その眼前に広がる光景に思わず息を飲んだ。
一面に咲き乱れる花がここ一帯を埋め尽くしていた。見たことのない綺麗な所だった。
感嘆の思いで見とれていると彼女がくいと俺のシャツの裾を引っ張った。


「どう?治まった?」

「え…」


気づけばあの強い喉の渇きが治まっていた。
答えるように頷いてみせれば彼女は「そう」とだけ返事をして、また俺の手を引いて歩きだす。
花畑に足を踏み入れると土と草の柔らかい弾力が足から伝わってくる。
ふわりと花の甘やかで優しい香りが鼻をくすぐった。
中ほどまで進み入れた所で彼女はすとんと腰を下ろした。
バスケットを傍らに置いて座り込んだ彼女を見ていると「座ったら?」と手招いた。
誘われるがままに俺も腰を下ろす。草はやわらかくて心地がよかった。

暫く自分の置かれた状況も忘れてぼうっとしていた。
ここはとても静かだ。草木が風に揺れるさらさらとした音だけが耳に入ってくる。
隣に座る彼女を見やれば周囲に咲く花を手折って花冠を作っていた。
ただ懸命に作ろうとしているのは分かるが全然形になっていかない。
正直かなり不器用である。
彼女自身も分かっているのか眉を寄せて難しい顔をしている。
初めて見る彼女の感情らしい表情に思わずくすりと笑いをこぼす。
ぱっとこちらを見上げた彼女に「見てて。」と自分の傍に咲いてある花を取る。
手本を見せるようにすいすいと編んでゆけば隣から感嘆したような声がもれた。


「はい。出来上がり。」


出来た花冠を彼女の頭に乗せてあげた。
すると彼女は暫し目をぱちぱちと瞬かせた後ふわりと笑った。


「ありがとう。」


初めて見せた彼女の笑顔はこの風景に溶け込むようなやわらかい笑みだった。










――――‐―‐-










彼女が少し歪ながらも花冠を完成させることができた頃。
突然おもむろにバスケットの中から硝子玉を取り出した。
きらきらと光りを受けて輝く硝子玉を膝に乗せると何やらじっと中を見つめている。
何が見えるのだろうと横から覗いて見るが何てことはない周囲の風景が映りこんでいるだけだ。


「ねえ、何が見えるの?」

「君にはたくさんの人が待っているんだね。」

「え…?」


また答えのない答えが返ってきた。


「ここに来るのはまだ早いみたい。」


すっくと立ち上がり俺の腕を引っ張った。
つられて立つと彼女はそのまま手を取って歩き出した。


「どこへ行くの。」

「君は帰らなくてはいけない。」

「帰るって」

「君の帰りを待っている人がいるから。」


どういうことだろうか。
さっぱり理解はできないが彼女についていくしかない俺はさっさと歩く後姿についていく。
森に入ってずっとずっと歩いて行けば元の湖があった場所に戻ってきていた。


「ここは…。」

「そう、君が最初に居た所。」


彼女は湖の傍へと近づいてまたバスケットに手を伸ばす。
中からぴかぴかと光る小さな石のような物を取り出すとそれを湖に向かって投げ落とした。

ぽちゃん

すると途端にまばゆい光が湖から溢れ出し、水面から光の粒が弾けた。
きらきらと青く瞬くその光景はこの世のものとは思えないほど美しかった。
その光景に圧倒されているとドン、と軽い衝撃が背中に走った。
彼女に押されたのだと理解した時には湖の中へと落ちていた。
ごぼごぼと水の音が耳に入ってくる。
ゆらゆらと揺らめく水面に目をやれば彼女が笑って手を振っていた。
どういうつもりだ、と混乱する頭に容赦なく水流が襲ってくる。
まるで何かが体にまとわりついて引っ張られるようで身動きができなかった。


「     」


彼女が何かを言っていたようだが水音に支配された耳がそれを拾うことはなかった。
だんだんと目の前があの時みた湖の青色に染まっていき、そのままゆっくり目を閉じていった。















――――‐―‐-













ぱちり


目の前を何かが弾けた。

閉じていた目を開ければ見た事のある真っ白な天井。
少し考えた後、ここが自分が入院している病室だということを思い出す。
そうだ、確か手術を受けて……。それでどうなったんだ?

呆然としていたら扉が開く音がして看護師が俺の姿を見るなり慌てて医師を呼びつけていた。
駆け付けた担当医にいろいろと質問をされた後、手術が成功した事と途中かなり危険な状態であった事を告げられた。
では、あの時見た光景はなんだったのであろうか。
単なる夢だったのかあるいは――。


少女の笑う顔と鮮やかな緑と散る花びらと甘い香り。
未だにそれが脳裏にこびり付いて離れない。




















25.4.13