私は喰種だ。

世間一般から言って喰種は人間より体が丈夫で身体能力が高い。
まあ確かにそうなのだが、私はというとものすごい弱い。
赫子は一応出せる。でも全然使いこなせていない。
人間にも得手不得手あるように喰種だって皆が皆強い訳じゃないのだ。
私の長所と言えばまわりの喰種より回復力は高いということ。でもただそれだけ。

いっそそれならただの人になりたかったなぁと時々思うことがある。
毎日同種からの攻撃に怯えることもないし、人を食べなきゃいけない罪悪感とかどこから調達しようとか
白鳩に駆逐される心配もない。
人はお店に行ってお金を払えば簡単に食べ物が買える。
好きなときに好きなだけ。
それってとってもうらやましい。
元から好戦的だったり強かったりする喰種はそんなこと気にしないんだろうけど。
私みたいな弱っちいやつは一度は考えたことあるんじゃないかな。
なんか喰種ってほんと損だなぁ。















ところで唐突だが私には一人兄がいる。
両親は随分と前に白鳩にやられてしまっていなかったから、兄が私の親代わりみたいなものだった。
私達が住んでた4区はとても荒っぽい所だったから私みたいに弱いやつは普通に暮らすだけでも苦労した。
兄はそれなりに強かったから問題なかったけど、私はヘタレでビビりで弱っち弱々だったからひどく兄に心配された。
そんな状況もあってかかねてから親交のあったウタさんのグループに兄は交ざったのだ。
ウタさんは4区を取り仕切っている有名な人でとても強くて仲間もたくさんいた。
だからそのグループに入れば兄だけでなく妹の私も顔が知られるし何かあったときに対処しやすい。
何よりウタさんの仲間だっていうだけで手出しされにくくなるそうだ。
だから兄は私の為を思う意味もあって交ざったのだという。
まあ、前々から声はかけられてたみたいだけど。



ウタさんという喰種は第一印象から言えばとても恐いように見えた。
だって髪もいっぱいついたピアスもギラギラしてたし、刺青めっちゃ彫ってるし
雰囲気めちゃくちゃ恐いしチキンハートな私は初めて紹介してもらったとき一目見た瞬間萎縮した。
だけど彼が私の目の前に歩み出て名乗った時その印象は薄まった。
とても穏やかで落ち着いた声だったからだ。
おまけに少し愛嬌のある話し方でがちがちに緊張していた体と心がふっと緩んだのが分かった。
めっちゃ恐い喰種から見た目ほど恐くはない喰種、と出会って3分で印象が変わったというのはなかなかに出来ない体験だった。















こつこつこつ。
ブーツの踵が小気味良く音を鳴らす。
シンプルな焦げ茶色のそれは一目惚れして買ってから随分と長いこと履いている。
変な歩き癖がついてるせいか片方の踵だけが極端にすり減っている。
慣れた道を進んで目的地であるお店の前に立つ。

“HySy ArtMask Studio”

そう書かれたお店の扉に手をかける前にひとつ深呼吸。いつも入る前は少しだけ緊張する。
もう何度も来ている筈なのに胸を打つのは持ち前の性格故か。
ふうと息を吐くと同時に扉を開く。


「……こんにちは、ウタさん。」

「こんにちは、さん。それといらっしゃい。」


マスク製作をしていた手を止めてこちらに振り返る。
挨拶を交わしてからウタさんは私に適当に座るよう勧めた。


「コーヒー淹れてくるね。」

「すみません、ありがとうございます。」


裏側へ引っ込んだウタさんをなんとなく見送ってから辺りにディスプレイされたマスクを眺めた。



どうぞ。

差し出されたコーヒーのカップをお礼を言いつつ受け取って口をつける。ふわりと独特の香りに気分が和らいだ。
おいしいですと告げればよかったとわずかに微笑まれた。
ウタさんはある時からマスク屋を始めていた。
昔から手先はとても器用で4区の皆のマスクは彼が作っていた。
かくいう私もマスクを貰ったんだけど、あんまり使う機会はなくてウタさんがちょっと残念そうにしていた。
あの頃と違って今はギラギラした雰囲気はないし髪も黒い、
相変わらずピアスはたくさんついて刺青もあるけど落ち着いた感じになっていると思う。
私は変わったかと聞かれればまず変わっていないと答えるだろう。
以前と変わらず弱いしビビりのまま歳だけ着実にとっている。

ぽつぽつと当たり障りない会話をして、ふとウタさんがああそういえばと切り出した。


「お兄さん結婚するんだってね。おめでとう。」

「あ、ありがとうございます。」

「この前ね、挨拶に二人で来たよ。ああいうとこお兄さん律儀だね。」

「はい。兄さんが挨拶に行ったって私にも話してましたよ。」

「とっても幸せそうだった。」

「……そうですね。」


よかったね。
続けて淡々と話していたけれどウタさんも本当にそう思って言っていることが伝わってくる。
つらつら飄々とした話し方と読み取りにくい表情で誤解されやすいけど、
それなりに同じ時間を共にして対話をすれば節々に感情が滲んでいることが分かる。
だから今もウタさんが兄が結婚するということに喜んでくれてる。私もそれが嬉しかった。

そう、兄は近々結婚する。
相手は長年兄と友達だった喰種で、私も何度も会ったことがある。
よく遊んでもらったり、早くに母を亡くしたためちょっと兄には相談しにくい女特有の相談にも乗ってくれたりした。
姉のように慕っていたし、そんな彼女との結婚はとても嬉しかった。
嬉しいし喜ばしいことなのだけれど少し問題がある。
私と兄は今までしがないアパートで二人暮らしをしていた。
結婚するに当たり兄は新居を探すことになった。
つまり今の家を出ていくということだ。
兄と彼女は私にも一緒に暮らそうと言ってくれた。しかしそれを私は丁重に断った。
新婚さんの家に居座るわけにはいかないし、もう自分もいい歳なんだから一人立ちしなければいけないのだ。
兄と彼女はとても心配していたが、私は大丈夫だと胸を張って彼らを祝福した。


「で、わざわざ僕の所に来たってことは何か話があってきたんでしょ?」

「はい…。あの、ウタさんは20区にも詳しいですよね?知り合いもいらっしゃるって。」

「うーん、まあね。20区がどうかしたの。」

「実は―」


そこで兄と離れて暮らすこと、それをきっかけに一人立ちしようと決心したことなんかをかいつまんで説明する。


「それで一人暮らしするなら比較的平穏そうな20区にしようかなと思いまして。」

「ふーん。なるほどね。でもダメだよ。」

「え?」


私の話をうんうんと聞いていたウタさんからまさかのダメ発言に目を丸くする。


「20区ってそんなに平和じゃないってことですか?」

「ううん。そんなことないよ。いい所なんじゃない?」

「じゃあ何がダメなんですか。」

さんが20区に移るってことがダメ。」


はっきりとした言い方に頭が混乱する。
私が20区に移るのがダメってどういうことだろう。
お前に一人暮らしなんか無理だってこと?
いやいやでも兄が結婚するのは変えようのない事実だし無理って言われてもしなくちゃいけないし。
そもそも20区に行くっていうのがウタさんの気に障るの?
知り合いの方に迷惑かける可能性があるからとか……。


「……なんかものすごい勘違いされてると思うんだけど、
 さんが今考えてることたぶん全部ハズレだからね。」

「えっ!そうなんですか!」


エスパーか!と内心ツッコミつつそれじゃあ何がいけないんだろうとウタさんをそうっと伺う。
私の様子に気づいてか「分からない?」と首を傾ける。


「すみません、さっぱり分からないです。」

「そう。じゃあ教えてあげる。」


かたんと椅子から立ち上がって私の前に屈むと、じっと目を交わらせた。



「僕ね、さんが手の届かない所に行っちゃうと困るんだ。」



そうっと二の腕辺りに触れられそのままするすると手のひらまで滑らせた。
やんわりと手を握られてずくりと鼓動が疼く。



「何かあったときにすぐ駆けつけられないでしょ。」



握られた手にぎゅっと軽く力を込められる。

何かあったとき。

その言葉に思い起こされるのは昔のこと。















私がおつかいでコーヒーを頼まれて買い出しに行ってたとき。
ウタさんの決めたルールを守らない素行の悪い喰種が私にちょっかいをかけてきて、腕に怪我をしてしまった。
持ち前の逃げ足の早さで腕だけで済んだし帰る頃には傷もほとんど塞がっていた。
でも当然服は破れてるしちょっと痕は残るしで兄はとても心配した。
誰にやられただの怪我の具合だのぐいぐい問い詰められたのを交わしていたらふと傍らにいたウタさんと目が合った。

ゆうるりと目尻を下げて徐に私の頭を優しく撫でた。
何故だかその雰囲気に驚いて目を瞬かせていると、その手は目の前の兄の頭に伸ばされこちらはやや乱暴に撫でられていた。
「何で俺の頭を撫でる!」と怒ってたけどウタさんは「まあまあ」と意に介さない様子で私はそんな様子に首を傾げるばかりであった。

それから数日後、えらくご機嫌な様子のウタさんがいてどうしたのかと尋ねた。


「なんでもないよ。」


そう笑って答えたのだが明らかに何かあったんだと思ったけど、しつこく問うようなことはしなかった。
後に兄から聞いたのだがウタさんは何と私を怪我させた喰種を探し出して、だいぶ痛めつけたらしい。
どうやって探してきたのかとか色々気になることはあったのだが、ウタさんがどうしてそこまでしてくれたのかが気になった。
その疑問は聞くことはなかったのだけれど。















手のひらの温もりが思考を戻してくる。


「……私はずっと守られたままでいる訳にはいかないんですよ。」

「誰にでも向き不向きってあるよね。さんはたまたま喰種の中でも弱かっただけ。
 それにいざって時その場に駆けつけられなかったら僕はきっとすごく後悔することになる。」


伏せられた赫眼が細い睫毛の隙間から赤い光りがちらちらと覗く。握られたままの手が熱い。
どうしてそこまで。胸の内で呟いたはずが声に出ていたらしい。
ウタさんは私の目をただじっと見つめる。吸い込まれそうだ。



さんのことが好きだからだよ。」



かちりと時が止まってしまったように感じた。
今確かにウタさんは私のことを好きだと言った。
いや待てよ、好きってそういう意味じゃなくて仲間だからっていう意味じゃ―


「先に言うけど友達とか仲間だからの好きじゃないからね。」


―いよいよウタさんはエスパーだろう。また胸の内を読まれてしまった。
しかしそうだとすればウタさんが私のことを好き…?そんなまさか。


「じゃあ、本当に私のこと…その、好きなんですか?」

「そう。冗談でこんなこと言わない。」

「そんな突然…」

「突然なんかじゃないよ。ずっと前からさんのこと僕のものになればいいのにって思ってた。」

「なっ―!」


さらりと紡がれる言葉に頬が赤くなるのが分かる。息が詰まって言葉がうまく出なかった。
今までそんな素振り全然見せてなかったのに。
ところがはっと過去の出来事が頭を過ぎる。
そういえばいろいろと助けてもらったりしてたなぁと思い当たる。
もしかしてそれらもそういう素振りに値するのだろうか。

確かにウタさんのことは好きだ。
でもそれが愛してるかどうかの好きかと言われれば、正直分からない。

私は、どう思っているのだろうか……。
自分自身の気持ちに悩んでいると、ぽんと頭に手を置かれて撫でられる。


「そこで提案があるんだけど。」

「提案?」

「うん。さんがこのまま4区に住めて、身の安全もご飯の心配もしなくていい方法。」


さっきまでとは全く別の、いや本来の相談事であった話に戻って戸惑ったが、そんなすばらしいうまい話があるのだろうか。
ごくりと息を飲んでウタさんに話の続きを促した。


さんが僕と一緒に暮らせばいいんだよ。」


またもや落とされた爆弾にそろそろ思考が尽き果てそうだ。
一緒に暮らす…?
それって同棲ってことだよね。
実際口に出して問いかければこくりと頷かれた。マジですか。


「まあ今は同棲って形だね。」

「今はって何ですか!」

「行く行くは奥さんになるから同棲じゃなくなるよ。」

「お、奥さん!?」


なんか更に一歩処かすごい飛び越えた話になってきたよ!飛躍しすぎだよ!
どうしてこうなったんですか何が起こってるんですか。誰か説明してください今すぐに!

ショートしそうになる頭でまとまらない話を必死に捏ねていたらふいに頬に手を添えられる。
つられて見上げれば真剣な表情のウタさんがそこにいて。
頬に添えられた手が輪郭をなぞるようにつうと滑っていく。



「ねえ、僕と一緒に暮らそうよ。」



いや?

親指が唇に触れて、こてりと小首をかしげられる。
そんな、言い方―そんなことされるとずるい。



「……よろしくお願いします。」



あっさりと気づけば了承していて、その返答に嬉しそうに笑うウタさんがかっこいいなんて。



あれ、ほんとどうしてこうなったんだろう。




ロマンシング・ア・ロマンス




title by alkalism


14.8.9